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 江戸切子の細工人

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■ 手摺一筋について

草柳勝太郎は、明治37年、伊豆市小坪に生まれました。大正6年5月小学校を出ると、祖父喜太郎の弟で、倉吉の叔父に当たる通称切米という切子細工師で、幕末から明治期、日本橋大伝馬塩町に広い工房を構えて活躍した草柳米七の肝いりで、二代目切米を継いでいた中出光之助の工房に弟子入りした。

当時70歳を過ぎていた米七は、大柄の恰幅のよい老人でしたが、このころすでに業界から引退して、神田で質屋を経営、この店を娘夫婦に任せて悠々自適名生活でした。ところが、弟子入りして数年後、親方の光之助は胸の病に犯され、出身地の藤沢へ療養に戻ったままなくなってしまいました。

この後、勝太郎は光之助の弟子で、切米に明治24年に弟子入りしたと言う本郷の山田将夫の工房に預けられ、修行を続けることになりました。理化学硝子の発展は、ガスと共にバーナーの発達によるところが大きいです。

日本でも明治の中ごろより普及し始めた都市ガスの導入により、飛躍的に発展しました。それまでは、製品の多くはドイツをはじめ、ヨーロッパから輸入されていましたが、破損されても直しようはありませんでした。

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