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 江戸切子の創世記

江戸切子の創世記

■ 江戸職人の腕の冴え

天竜川を挟んだ町や村には、今でも盆踊りや念仏踊りの飾りに箱型の角を落として多面体にした灯袋に、紙を張ってたれ飾りをつけた切子燈籠が使われています。

切子ガラスもこの燈籠と同様、ガラス器に切込みを入れたり落としたりの妙を味わうもので、主に厚手のガラス器の素材に菱山やかまぼこ型の金盤や石盤をグラインダーに取り付け、回転させて彫られたものです。

業界ではカッティングを切るといいますが、その直線や曲線の組み合わせで得られた文様に艶出しすると、ガラス面の輝きが増して素晴らしいガラスの工芸品となります。

■ 江戸の流れを組むびいどろ師

現在の東京では、墨田、高等、江戸川の三区に江戸切子業の加工所が集中していますが、そのほとんどの人たちはこの品川切子の伝修正の系統で占められています。では江戸期より続く古い系統はどうしたのでしょうか。

加賀屋のいとこで江戸は芝の生まれびいどろ師、四本亀次郎なる人物が薩摩のガラス工作場に赴いて、紅ガラスなどの製造に関係したことが知られていますが、この職人がわざわざ当時、優れたガラスを製造販売していた加賀屋から選ばれたことは、薩摩藩でこの人物から理化ガラスに不可欠な

硬質ガラスの技法を導入しようとしたことと共に、江戸切子の技術も得ようとしたことは充分考えられます。現地では酒で失態をしでかしたりもしましたが、かなり優遇されていたようです。その四本亀次郎が果たして切子のできるガラス職人であったかという疑問もありますが、

この時代の市中のガラス屋は川原慶賀の描いた長崎のガラス工房にも見られるように、吹き場のすぐ隣でめがねレンズのすり加工をするという具合で、現在の工場とは違った小規模なものでした。

たとえガラスだまを吹いて器を作るびいどろ師といえども、窯を築くことはもちろん、タネの調合、仕上げ加工などにも精通していたはずで、二人か三人で何でもやらなくては成り立ちませんでした。

■ 消えゆく江戸の芸

明治も半ばを過ぎ、舶来吹きが幅を利かせてくると品川硝子を出た吹き工の多くが独立しました。やがて品種が豊富になると、文具や照明器具、平ものと言われる平面研磨も重要な位置を占め、平物の専門業者も多く現れました。

また需要に応じて一般の切子屋が江戸切子と平行して彫る花切子も、それらを得意とする加工屋が主に草花を彫るなど細分化が進みました。現在ではこれらの加工所を含めて百三十軒ほどの切子屋が東京にあります。

江戸切子は、このように素晴らしい発展を遂げましたが、月日は長く、切子と縁の深い江戸以来の老舗や加工所は、激動の世相に耐え切れず、今日その姿を見ることはできません。