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 南国に咲いた江戸切子

南国に咲いた江戸切子

■ 南国に咲いた江戸切子

今日のカットグラスは、主にメーカーである発注元から送られてくる素材と、同時に送られてくる図案に従い、加工業者が忠実にカットを入れてゆくというシステムです。メーカーは素材の硝子とデザインを、加工業者はカット技術を提供すると言う図式が出来、両者の立場がはっきりしています。

もちろん切子職人のアイデアが、カットのデザインなどにも反映されてゆくのは当然ですが、加工業者のほうで、そのここの特長を生かしたオリジナル作品を切って、自ら販売まで持ってゆくには、素材が思うように手に入らなかったり販売ルートなどの問題もあって、

わずかな業者を除けばそのような経営をする人は極めて少ないです。その代わり、仕事の合間に時分で素材のデザインから切子模様の図案を考えてカッティングし、展示会に参加したり、個展を開き江戸切子の作家として意欲的に発表する人もいます。

■ レリーフカット

根本幸雄は数少ない切子作家として、個展を開き、あるいはガラス工芸展に積極的に参加し活躍する一人です。戦後まもなく、義兄の勤める錦糸町の村松硝子の吹きガラス工場に見習いに出ました。14歳で亀戸の田村徳蔵の切子場に入門、江戸切子との出会いが始まります。

その師匠の安西康二郎は鼻きり粉を最も早く手がけた1人と言われる山田吉之助の弟子で、この吉之助の父親が山田栄太郎です。根本は日本伝統工芸展に毎回のように出展し、同新作展では優秀賞も受け、高い評価も得ました。

日本ガラス工芸協会の同人で、イベントにも積極的に参加し、苦労と努力の末に日本を代表する江戸切子の作家の一人になりました。近年子息の達也もグラビールと切子の両方を器用にこなし、徐々に頭角を現しているようです。

■ 細工は流々

昭和32年、栃木県の夜間高校を出た塩島高次は、高級カットグラスで知られる江東区大島の堀口ガラスに入社しました。堀口硝子は大橋徳松、小林菊一郎と続く系統に属し、塩島が入社した頃は職人、デザイナーら50人ほどの会社でした。

加工販売とはいえ、切子界では最も大手の業者の1つで今もその規模はあまり変わっていません。師匠は当時の社長・堀口市雄でした。

塩島は堀口硝子とその関連会社を含め、約20年務めた後、近くの大島2丁目に、工房を持ち、現在も堀口硝子とは親子を思わせる信頼関係を保ち、その協力企業として同社の製品を専門に加工しています。