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 伝統の切子工芸

伝統の切子工芸について

■ 江戸の硝子屋について

近代日本のカットグラスは、その源を品川硝子に見ることができます。同所などの新技術の前に明治前期まで続けられた江戸期の手摺を中心にした技法は耐えてしまっていますが、逆に江戸切子の名声は今日いよいよ高まり、デパートの展示会やコーナーでは、江戸切子展が催され、

江戸切子の名にあやかり人気は高いです。もちろんこれらのカットグラスは伝統工芸としてのブランド名ですが、江戸末から明治前期にかけて作られたアンティーク、今ではなかなか得がたい骨董品になってしまった当時のカットグラスに目を向けてみるのもいいでしょう。

江戸切子の遺品は、美術館を始め各コレクターによって蔵されていますが、今なお、古美術店でも時折見かけ、これからも人知れず眠っている当時のカットグラスが進出する可能性は高いです。

■ 江戸切子のルーツについて

江戸切子は、その発生時期ははっきりしていませんが、加賀屋などの引き札に見られるように、江戸末期までにはかなりの種類の製品が作られ販売されてきました。しかも方形足つき杯などのように、ヨーロッパのカットグラスのスタイルや文様を手本にしながらも、当時の吹き職人や切子職人たちは、

必要上編み出したわが国独特の技法を持って製法加工に望んだのです。江戸切子においては、西洋式グラインダーによるカッティングが浸透する明治20年頃までは、

一部の旧来の手摺カットもされていたと考えられ、製造の分野に当たっても、業界の先端を行く品川硝子では、まだ市中で幅を利かす江戸期からのジャッパン吹き硝子屋の作る低廉な製品に押されたことも原因の1つに成り、その経営を民間に委ねるほどでした。

■ 薩摩切子の背景について

日本のガラス工芸史だけにとどまらず、当時の硝子工芸の中でも、日本の南端の地で作られた薩摩切子はひときわ優れ異彩を放っています。同時期に製造されたヨーロッパの硝子の中にさえ、あまり見出すことの出来ない、厚く色被せをした素材に見事にカットしたこの薩摩切子は、

その作られた期間が極めて短いです。島津藩が、四本亀次郎を江戸より招いて、紅硝子の研究と硝子作りをはじめたのが弘化3年、維新を向かえ明治4年には硝子工場などのあった集成館も官有に帰しましたが、

その直後、同地近くで薩摩の硝子事業に深く関わった人物が藩政時代の事業の一部を引き継いだ形で、「開物会社」として各種産物の製造と共にガラス工場も興し、明治5年には宮内省の注文までも得、蓋物の硝子器を納入しています。